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評論 : 『100物語』と題された未完の作品群は、消え去ろうとするものたちへのオマージュ
投稿者: 相内啓司 投稿日時: 2005-09-19 03:02:00 (2169 ヒット)

この遠大な記憶の日々への遡行の旅は、単に追憶というよりは、あまりにも構築的な、しかし微細で美しい作品研究の過程として私たちの目の前に繰り広げられている。

ここで『100物語』として語られるエピソードは少年・加藤昌範の目に焼き付いたさまざまな出来事と、大人になって久しい画家・加藤昌範のイマジネーションと意識が合わせ鏡のように反響しあう濃密な絵巻物である。

それらは私たちの記憶の淵から甦ってくるなにかしら懐かしい心の起伏と交錯し、それがただひとり加藤昌範のものではないものとして心をやわらかく締めつける。

たしかにそれらの物語は、第二次大戦のただ中にまだ少年であった彼の疎開先、美濃焼の郷・岐阜の祖父の家での出来事を生き生きと綴ったものだ。それは少年・加藤昌範という個の記憶を超え、その時代に無数にあったはずの同様の出来事に通底するものであったにちがいない。

ただ、それらをかカタチにし普遍性をもつ表現に昇華させるのはだれの手によってもできるものではない。そこにはとうぜん強い想い入れや、表現者としての資質、表現の構想力やそれを支える技術といったものが必要とされる。だがいま私たちの目の前の膨大な量のエスキースとその研究のプロセスを見れば、それらが月並みな私たちの憶測をはるかに超えた深みと、広がり、そしてすべてのものに向けられたまなざしの優しさと、同時にすごみを感じさせるものに他ならないことを瞬時に悟らせる。

『100物語』の構想はおそらく東京・府中に居住していた1980年代の早い時期から着手されている。その研究とエスキースはこの絵物語の完成に必要なすべての要素についての緻密で徹底的なものである。アメリカンコミックスの合理的な表現スタイルの研究はそのころアメリカと日本を行き来する中で意識化されたと聞く。さらに90年代に入って長野・高遠町に生活の場とアトリエを移してからは、あらためてバウハウスの研究を再評価し、より緻密でシステマティックな造形構成と色彩構成の研究を徹底して行っている。このようにモダニズムの観点から絵画を検証するような研究とは逆に、一方では幼年期に出会ったすべてのものたちの記憶の世界に遡行する、むしろ日本固有の土着的ともいえる『100物語』のテーマと構成をほぼ確定していた。近年に至っては12世紀の縁起絵巻のような作品形式を追求し、その完成に向けてほぼ最終段階のエスキースに入りつつあったのである。 その完璧さを求めるプロセスは過剰とも見える様相を示していると言えなくもない。

もしそう言ってよければ、そのような過剰さを生み出してきたものは、加藤昌範という存在を突き動かしてきた、なにか根源的な欠乏感、あるいは激しく変貌し続ける現実の世界に対する違和感のようなものではなかっただろうか。

未完の『100物語』は決して消え去ることのない記憶とイメージの間を往還する遥かな夢の軌跡である。それはどこかしら、かつて経験された出来事であるにもかかわらず、今となってはついに到達することができないユートピアのようにも見えはしないだろうか。






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